社史

1970年

明和電機 社史 飛行艇

初代明和電機会長である土佐阪一は、神戸にある新明和工業に入社した。第二次大戦中は川西航空として「紫電改」などの戦闘機を製作していたこの会社で、飛行艇の尾翼の設計に携わった。



1993年

明和電機社屋

1969年に新明和工業を退社した阪一は、兵庫県赤穂市に有限会社明和電機を設立。東芝、松下電器の下請工場として真空管の制作から始まり、最盛期には100人を越す従業員を抱えた。しかし1979年オイルショックの影響で経営が悪化し、倒産してしまった。



1993年

土佐兄弟

14年後の1993年、土佐阪一の息子である土佐正道、土佐信道は、アート・ユニットとして再び明和電機を設立。それぞれ代表取締役社長、代表取締役副社長に就任。社訓「やったもんがち、とったもんがち」を掲げ、魚をモチーフにしたナンセンス・マシーン「魚器シリーズ」、電動楽器シリーズ「ツクバ」を次々と開発。 パラレル・ワールドの電機屋さんとして、日本のお茶の間の皆様に衝撃を与えた。



2001年

セーモンズ

さらに8年後の2001年、土佐正道が35歳で定年退職し、土佐信道が社長に就任。新たにエーデルワイス・シリーズをスタート。パリ・ロンドンでの大規模な展覧会に参加。2003年10月にはパリで開催された「人とロボット展」に参加し、海外初の本格的なライブも行った。2003年9月には世界的なメディア・アートの祭典「アルス・エレクトロニカ/インタラクティブアート部門」において準グランプリを受賞。一方、ノックマン・ファミリーのような親しみやすいオモチャの開発も精力的に行い、明和製品をお茶の間に届ける”明和電機のある暮らし”の実現を目指した。



2010年

明和電機 土佐信道

2010年、新たに「ボイスメカニクスシリーズ」をスタート。そのコンセプトをプロダクト化した「オタマトーン」は国内外で12万個を販売し大ヒット、2010年おもちゃ大賞を受賞する。また2011年8月にはフランスで開催された「TRANSFORMWER展」において明和電機の全製品を展示。2013年7月にはスペイン人振付家ブランカ・リーによる明和電機の楽器やコスチュームを持ちいたダンスパフォーマンス「ROBOT !」がフランスで開催され、明和電機のフランチャイズ化に向けて一歩前進する。2013年に20周年を向かえ、赤坂ブリッツで20周年記念ライブ、金沢21世紀美術館にて展覧会を開催した。また同年には文化庁文化交流使の指名を受ける。2014年から子ども向けのメカニカルライブ「ヒゲ博士とナンセンス★マシーン」を開始。2016年には中国・上海の現代美術館McaMにて、過去最大規模(3000㎡)の展覧会を成功させた。

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事業報告

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